紫式部が見ていた世界と令和の今を比べてみる
去年は大河ドラマが家康だったり、同じくNHKの大作ドラマでは大奥が話題になったり。
なんとなく、徳川推しの1年だったように感じる。
そして、今年の大河ドラマは、「光る君へ」。
一挙に時代をさかのぼって平安時代へ。
「きっと今年は、平安の雅を寿ぐ1年になりそう!」
と、まあ勝手に予想して、年末年始、源氏物語を予習勉強をした。
その中で面白かった本が、山崎ナオコーラ著の「ミライの源氏物語」。
源氏物語は、いくつか現代語訳されたものがあるので、物語として読んで楽しむことは出来る。一方でこの本は、物語中で出て来る平安の社会の仕組み・その当時の当たり前の慣習と、現代の社会のそれを比べて、どれだけ隔たりがあるのかという観点を筆者なりに解釈している。
その「バッサリ感」と「歯切れの良さ」が、山崎氏ならではで、非常に清々しかった。
たとえば、
光源氏が幼い若紫を見初めて自分で引き取り、その後自分の妻にした、というのこそ、「ロリコン」以外のなにものでなくて、現代ならもしや刑罰の対象にゾ!
とか、
光源氏の生母で早くに亡くなった桐壺に似ている、育ての親の藤壺を慕い、その後なんと、子供までもうけたのは、もはや「マザコン」でしかない!
とか。
ただ山崎氏も、だから平安はダメだということを言っているのではなく、その時代にはその時代の社会の仕組みというのがあり、それに沿った倫理観が普通に存在していて、その中でその時代の人はみんな生き生きとしていた!ということがステキなのだ、と語っている。
倫理、モラル、常識は、時代によって変わるもの。
この先、将来1000年後には、どんな倫理感の元でどんな社会になっているのだろうか…
、と思いを馳せながら新年を迎えました。